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高松高等裁判所 昭和29年(う)194号 判決 1954年5月27日

控訴人 被告人 村川修

弁護人 安田幸太郎

検察官 畠中二郎

主文

本件控訴を棄却する。

当審における未決勾留日数中参拾日を本刑(但し原判示第二の罪についての懲役刑)に算入する。

理由

弁護人安田幸太郎及び被告人の各控訴趣意は夫々別紙記載の通りである。

弁護人の控訴趣意第一点について。

論旨は原判示第二の事実につき原判決は事実の誤認があると謂うのである。仍て原判示第二の事実を検討するに、原判決が証拠として掲げる浜谷太吉の司法警察員に対する供述調書抄本及び被告人の司法警察員に対する昭和二十九年一月二十九日付供述調書に徴すれば、被告人は浜谷太吉より本件原動機付自転車一台の売却方を依頼せられるやそれが賍品であることの情を知りながら右浜谷を伴つて丸亀市北平山町清水方に小川敏夫を訪ね同人に対し右自転車の売却斡旋方を依頼し右小川が更に右自転車を同町の合津方へ持参し売買の交渉(売買が成立しない中に浜谷が検挙された)をした事実を認めることができ、原判決が「被告人は(中略)これを同市北平山町の小川敏夫に対し売却する周旋をして云々」と判示したのは幾分正確を欠いていると謂はなければならない。しかし賍物の売却方の依頼を受けた甲が賍物たるの情を知りながら乙に対しその売却斡旋方を依頼し乙が更に丙に対し売買の交渉をした場合においても、甲は賍物売却の斡旋行為をしたものとして賍物牙保罪の責を免れ得ないものと解すべきであるから、前記認定の如き被告人の行為は賍物牙保罪を構成するものであり、原判決が本件行為を賍物牙保罪に問擬したのは結局正当であつて、原判決に判決に影響を及ぼす事実の誤認があるとはいえない。原審が取調べた各証拠を検討しても所論の如く賍物牙保の幇助に過ぎないものとは見られず、論旨は理由がない。

同第二点及び被告人の控訴趣意について。

各論旨は原判決の量刑は重きに失すると謂うのである。仍て本件記録を精査して考察するに原判示第一の自転車窃盗(原判決に自動車とあるは誤記と認める)は昭和二十五年中の犯行であり、原判示第二の賍物牙保罪も犯情比較的軽微であるけれども、被告人は是迄窃盗罪等により前科(罰金三回、懲役五回)を重ねていることその他諸般の情状を考量すれば原判決の各科刑が必ずしも酷に失するとはいえず、各論旨の主張するところを十分斟酌しても原審の量刑は相当であつて、論旨は採用できない。

尚原審判決書は第一枚目と第二枚目との間に契印を欠いているけれども、判決破棄の事由となし難い。

仍て本件控訴は理由がないから刑事訴訟法第三百九十六条刑法第二十一条刑事訴訟法第百八十一条第一項但書により主文の通り判決する。

(裁判長判事 坂本徹章 判事 塩田宇三郎 判事 浮田茂男)

弁護人安田幸太郎の控訴趣意

第一点弁護人は本件第一審の公判では強くは主張しなかつた点であるが原判決摘示第二事実につき (一) 起訴状も原判決も共に「小川敏夫に対し売却する周旋をした」と事実を認定し被告人を賍物牙保罪に問擬したのであるが賍物の故買者が小川敏夫であつてその売買の周旋を被告人がしたという意味であるならばそれは事実の誤認であつて被告人が主張している点は被告人が浜谷太吉を連れて行つた先(小川)は賍物を買うからと思つたからではなくて買主を探してくれるであろうと思つたからである。換言すれば本件自転車が賍品であることを被告人が知つていたとしても売買の周旋媒介をするかも知れぬと思われる小川敏夫方へ浜谷を連行したのであつて被告人自ら周旋媒介の意思は毫もなかつたのである。(二) 従つて大正三年の判例の如く「直接買主ニ対シテ交渉ヲ為ササル他人ニ委嘱シテ交渉ヲ為サシメ以テ売買ノ媒介ヲ為シタルトキ」も牙保罪に該当するとしても本件はこれに該らない。このことは浜谷の供述によつても村川が連れて行つた先の男(供述では清水となつている)が更に他の家に浜谷を伴いそこで現金千円を受取りこれを浜谷に渡しその際「買う人を明日呼ぶから云々」と言つている事実(記録三〇丁裏以下)売却値段の交渉等は当初からすべて浜谷が直接これに当つて村川被告人が関知していない事実等からみても明らかである。(三) 要するに第二の事実につき被告人に罪ありとしても牙保罪の幇助にすぎない。

第二点原判決は本件につき刑の量定を誤つたと思われる。(イ) 被告人は確に多くの前科を有するけれども前回受刑後は全く必を改め小橋武雄方でまじめに働いていたものである。(ロ) たまたま受刑中顔見知りとなつた浜谷が訪ねて来たので些細な仁義を立てるために本件事案に至つたものである。(ハ) 第一の事実も自白すまいと思えば判らずに終つた事実であるが被告人としては一切を吐き出し清々しい心で再生の途を歩むため自ら進んで自白したものでその心中を察するとき敢て処罰の必要があるであろうか。(ニ) 被告人は昭和十三年頃水流に溺れんとする幼児を見て自らこれを救助する等侠気に富み前記の如く飜然として前非を改め正道を歩みつつあつた者に対し原審の刑はあまりにも苛酷である。(ホ) なお被告人には高松市峯山町に老母と二人の娘があり被告人からの仕送りを受けて暮しており被告人の右家族等に対する恩愛の情もまた察すべきものがある。

(被告人の控訴趣意は省略する。)

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